牛の飼育法には昔から農家でやっている「一頭飼い」と「多頭飼育」とがある。
「多頭飼育」は一つの囲いの中に四、五頭の牛を入れ、そんな囲いを一棟にいくつも持つ。一棟の牛舎で30頭から150頭以上もの多数の牛を飼育するものだ。
これに対して 「一頭飼い」は文字通り一頭だけを飼っているのから、一つの囲いに一頭ずつ入れて、数頭からせいぜい十数頭までのささやかな飼育である。
ささやかではあるが、丁寧で、こまやかでもあって、品評会に出すような牛はみな「一頭飼い」である。
仲さんも勿論「一頭飼い」であった。
150年前に建てられたという、頑丈な、古い家の中には、仲さんがこれまでに品評会で獲得した賞状や賞杯が山のようにあった。
「趣味と実益ですわ」
と仲さんは何度も言った。品評会で優勝すると牛の価格が跳ね上がる。それが「実益」で、賞状が溜まることが「趣味」という意味のようだった。
「日本中の牛を食うたとはいわんけれど、これまでにたいがいの牛は食べてるよ。三田の牛よりうまい牛はなかったなあ」
「ビールを飲ませるかって? 品評会に出す前には景気づけに飲ませたこともあるけど、ふだん飲んでへんもんやからアルコールには弱うてなあ、こんなでっかい図体してて、ビール一本で酔っぱろうてしまいよんねん」
「ビールよりはうちの井戸水のほうが牛にはおいしいのと違うか。品評会の時には、会場には水道しかないし、うちの牛たちは水道水はよう飲まんから、わしがうちの井戸水をえっちらおっちら担いで行くんや」
そんな話を聞きながらの、短時間の見学ではあったが、仲さんの牛に対する愛情がぴんぴんと私の腹の中に響いてくる感じがした。
「松阪牛」は世界的なブランドだ、と先に書いたが、日本の牛で国際的に名を知られるようになったのは「神戸ビーフ」 のほうが早い。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約を締結した江戸幕府は、横浜に外国人居留地を作った。ここに住む外国人たちが驚嘆したのは神戸港から船で輸送 されてくる牛肉のうまさであった。彼らの口から「神戸ビーフ」の名前は世界中に広まった。
この「神戸ビーフ」が但馬牛を三田で飼育した三田牛だった。
『有馬郡史』に「古来本郡より出づる内国種肥牛は三田牛と称され有名なりき」とある。旧藩時代、この辺の農民たちは年貢の米を牛に積んで運んだ。領主は その牛の良否で農民がよく働いているかどうかを判断した。三田牛はいつも領主から褒められていたという。
『新但馬牛物語』にも「未経産雌を理想肥育した三田肉を一度味わった者には、その味わいが忘れられない」
とある。
但馬牛の仔牛を素牛とした銘柄牛の中でも三田牛は格別にうまいものらしい。
その三田牛を生産から販売まで一環して経営している「勢戸」の代表取締役勢戸崇市さんとご一緒に、三田肉でのしゃぶしゃぶ鍋を囲んだ。しゃぶしゃぶはもちろんうまかったが、それよりも「スジボン」と呼ばれる珍品に私は脱帽した。
三田牛のアキレス腱を煮込んで調理したものだが、私の嗜好に100%ぴったりの逸品だった。
勢戸さんにはいろんな話をうかがったが、残念ながら全部をお伝えする紙幅がない。
最後に「ほんとうにうまい肉の見分け方」を勢戸さんの口写しでお伝えしておこう。
「牛肉の良し慈しは網で焼いてみるとすぐ分かります。こんがり焼けて箸ではがすと綱からきれいにはがれるのは雌牛で、これはうまい。網にくっついてはがれんのは去勢牛で、味もいまいちでんなあ」
「焼きたての熱い肉を食べた後、すぐに冷たい水を飲んでみるとよろしい。輸入肉やと肉の脂が上顎にくつついて残っています。三田肉はそんなことがない。脂はすぐに溶けてするりと喉越しの、ええ感じで肉はおなかに入っていくんですわ」
「桜色のきれいな肉が、ええ肉やと思うているお客さんがこのごろは多うなりました。違います。ええ肉の色はもっと濃い。小豆色に近い。それに光沢があります。まあ、値段は倍くらいいますけどね」